「不動産弁護士|建築弁護士|相続弁護士|顧問弁護士」 [アルティ法律事務所]
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アルティ法律事務所
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弁護士紹介
略歴
地元の区立小中学校を卒業し、東京都立両国高等学校卒業
中央大学法学部法律学科卒業後、不動産会社勤務
   
平成5年 司法試験合格、翌年司法研修所入所
平成8年 弁護士登録(東京弁護士会)
平成10年 独立し「瀬戸綜合法律事務所」開設
平成15年 事務所名を「アルティ法律事務所」に改称
平成8年 日本大学司法研究所講師(民法)
平成10年 中央大学法学部講師(法曹演習:憲法・民法・刑法)
平成16年 亜細亜大学法学部客員教授(民法)
平成22年 東京簡易裁判所民事調停委員・司法委員
 
その他、東京弁護士会相談員、日本商工会議所相談員、立川市相談員、 破産管財人、遺言執行者、成年後見人など幅広く歴任
弁護士瀬戸くんの面白半生記

当ホームページへ、ようこそ!
ここでは、当法律事務所の所長である“弁護士瀬戸仲男”の紹介をいたします。上記のような一般によく見られる「経歴を羅列しただけの紹介」ではオモシロクナイので、少し江戸っ子口調の物語風の紹介にしてみました。どうぞ、ご覧ください。

 
瀬戸くんの実家は三代以上続いた東京下町の江戸っ子の家系。 そのお陰か、母親のお腹にいた時から、本所もんの海舟勝麟太郎先生にあこがれていたらしいが、本人以外には誰も知らねぇことで、とんとらちもねぇ。 桜咲く春爛漫のころに今回の生を受けた瀬戸くんは、地元の区立小学校に通うが、担任教師から、クリーニング屋の息子と二人で「ワーストツー」などとレッテルを張られちまった。犯罪学の権威藤本哲也先生の「ラベリング理論」の見本みたいなもんで、よくもまぁ、ぐれなかったもんだ。
そうこうしているうちに、生まれて初めて「受験」というものに挑戦し、無事に、かつての東京府立第三中学校、今の東京都立両国高等学校に進学。 両国で弓道部に所属した瀬戸くんは、和弓の鍛錬に精進する。弓道部顧問のS先生は戦闘経験のある元軍人の御仁で、厳しいのなんのって…体罰なんて当り前…でも、凛とした雰囲気のいい先生だったなぁ。高倉健さんみたいで、かっこよかった。鬼のS先生の下で弓道の極意「立ち禅」を少しだけ体験。
生来の探究心を発揮して、両国の三学年時は理系クラスに所属した瀬戸くんは、当時流行っていた地球物理学やガモウの宇宙の進化論に興味を持つ。その頃、宇宙戦艦ヤマトのTVアニメ番組が始まっており、物理学のH先生が「宇宙戦艦ヤマトは哲学マンガであぁ〜る。お前たちも見ろ!」と強制した影響かも?
…が、H先生の期待に反し、理系クラスのくせに、考えるところあって、大学は法学部へ。 中央大学が社会科の代わりに数学で受験できることを知り、渡りに船とばかりに、“法科の中央”(中央大学法学部法律学科)へ進学。 中大では語学クラスの同級生に恵まれ、現在も全国的に交流あり。

中大卒業後、不動産会社に勤務。マンション開発や法人仲介営業を担当。
マンション開発業務では土地の仕入れから分譲引渡までトータルに経験し、不動産開発の全体像を把握して、随分と勉強になった。
土地の仕入れ業務では、他のデベロッパーに負けてなるものかと、夜討ち朝駆けで地主宅を訪問。当時の上司が地主の夜の接待をした翌日に「昨夜は地主とお風呂に行ってきた。」と自慢げに言うので、ウブな新米社員の瀬戸くんは「サウナですかぁ?、いいですねぇ!」と調子を合わせたが、上司はニヤニヤするばかり。 あの時の「お風呂」っていったい何だったんでしょうねぇ?(まさか…そんなこたぁねぇよなぁ?)
地主とのお付き合いも大変だったが、それ以上に大変だったのが、近隣住民との折衝。「マンション建設反対!」などと住民運動を起こされた日にゃぁ、仕入れた土地が塩漬けになっちまって、土地代借入金の金利がかさむばかりだぜぃ。
てなわけで、閻魔さまのような近隣住民との交渉と並行して、設計事務所やゼネコンとの打合せ。建築現場の定例会議に参加し、現場監督のオジサンから「昔は、入墨をしたそのスジの人が現場事務所に来たもんですよ。」などという話を聞かされ、不謹慎にも唐獅子牡丹の花田秀次郎を連想してしまった。(健さん、すいません!)
そんなこんなで、建築の素人だった瀬戸くんは、現場の建築知識を習得したのであった。
そうして、上棟後に仮使用申請をしてモデルルームをオープン。事前準備のため、広告代理店と打ち合わせて、完成スクラッチ・パースや、販売用パンフレット・図面集や、新聞折り込みチラシのデザインに美的センスを発揮して悦に入る。人間って、意外な才能があるもんだ。
分譲契約時には、宅地建物取引主任者として物件の説明を行い、ダメ工事も済んで無事に一件落着。打ち上げパーティーのビールの味は格別ですなぁ。
マンション開発は団体競技だが、仲介営業は個人競技。 海千山千の仲介業者のオジサマたちと仲良くなって、良い物件情報をもらえるようになれば一人前。 物も直、人も直だといいんだけどねぇ、そうは問屋がおろさねぇ。アンコになることもあったっけ…まぁ、いいさ。いずれは大輪の花を咲かせるように頑張ろう! ?

…と、思っていたら、総量規制なんぞをやらかした大蔵省の目論見通り、平成2年 秋からバブル崩壊が始まり、不動産業界は不況に向かってまっしぐら(まったく、資産家を減らして国が栄えるわけねぇじゃねぇか! 責任者、出てこい!)。
さて、ここで、瀬戸くんは考えた。このまま不動産業界に止まっても、不動産業界全体が不況になる以上、どうしようもない。さて、どうしたものやら?
思案の挙句、瀬戸くんが選択した道は、なんと!「司法試験受験」であった。 まぁ、確かに「法科の中央」の出身だけど、当時の司法試験の合格率はわずか2%程度ですぜ、皆の衆。50人に1人の狭き門とは恐れ入谷の鬼子母神! それでも頑張った瀬戸くんは、マラソンの有森裕子さんよろしく「自分で自分をほめたいと思います。」
不動産会社に勤務したまま、平成3年、4年、5年と受験し、無事に司法試験合格。会社の同僚の中には「宝くじだねぇ。」などとからかう連中もいたが、てやんでぇ、べらぼうめぇ! 運だけで2%を突破できるかぁ! 働きながら受験するっつぅのがどんなに大変なことか、てめぇもやってみろってんだ!
まぁ、お怒りはごもっとも。それはさておき、平成6年の3月末日まで会社に勤務してご奉公し、翌日4月1日から最高裁判所司法研修所の司法修習生となった瀬戸くんは、久しぶりの学生生活を満喫し、司法研修所を無事に卒業。 中大の先輩のボス弁の事務所に居候して、新米弁護士としてのスタートを切ったのであった。

瀬戸くんの先輩ボス弁が企業倒産のプロだったことから、大型倒産事件にかかわる 貴重な経験をすることに。 手始めに「茶巾寿司」で有名な「京樽」の会社更生申立事件の申立代理人となって奔走。魚の納入業者のオジサンたちが押し寄せてきて、「うちの会社のサバを返せ。」と大声で怒鳴る。雲霞のごとくとはこのことか?
対応に当っていた部長さんの手に負えず、いざ!瀬戸くんの出番。 サバオジサンが血走った眼で「あんた、誰だ。」と言うので、浜松屋の弁天小僧菊之助よろしく「知らざぁ、言ってきかせやしょう!」とは流石に啖呵を切れなかったが、涼しい顔して「弁護士です。」と言ってやった。 が、サバオジサンは「なにぃ! 弁護士ぃ! 何でもいいから、とにかくサバ返せ!」とすごんで、取りつく島もない始末。 部長さんはおびえて震えてるし…
さて、ここが元不動産屋で修羅場をくぐり、いま弁護士で売出し中の瀬戸くんの腕の見せ所でぃ。 「あなたねぇ、サバを返せって言ってるけど、それ、業務上横領の教唆っていう犯罪行為ですよ。分かってます?」って言ってやったら、サバオジサン、目をシロクロ(注:既に保全命令が発令されて保全管理人の管理下におかれていた)。 「なんで、うちのサバを持って帰るのが横領なんだ!」と無知を自白するので、懇切丁寧に教えてあげたら、名残惜しそうに帰って行ったっけ。 悪い人ではなさそうでしたなぁ。友達になって、一緒にカラオケでも行けば楽しいかも…酔えばきっと裕次郎かなんか歌うんだろうなぁ、と思わせるような人でした。
京樽の他にも、マリコン(マリーン・ゼネコン、湾岸土木)の大都工業の会社更生事件や、明治の大立者大倉喜八郎さんが創業し「鉄の大倉」と謳われた大倉商事の倒産事件など、得難い体験をした瀬戸くんは、いよいよ独立だぁ!

ボス弁の下で1年半みっちり修業して、晴れて独立。 「虎ノ門」という地名に魅力を感じた瀬戸くんは、小さいながらも自分の城を構えて、思う存分腕をふるい、「やってやろうじゃぁねぇか!」と意気込むのであった。
弁護士は一種の「職人」みたいなもんで、依頼者の悩みは十人十色どころか、億人億色ってぇくらいに千差万別! それを手作りで解決し仕上げていく弁護士の仕事っつぅのは、ほんに面白いものですなぁ。物作りの職人さんたちが寝食を忘れて没頭するのが、少しわかったような気がする。 自己責任100%の事務所経営は、大変なこともあったけど、仲介業者のオジサマたちやその他周りの人に助けられ、順調に発展。感謝感激雨アラレ! そうして今日に至っているというわけでございますよ。

弁護士の本業の他にも、縁あって、大学で法律学を教えることになった瀬戸くんは、 母校の中大の他にも日大、亜細亜大、専大などで教鞭をとることに。 チビの頃に「ワーストツー」と言われて、廊下に立たされたり、正座させられて足が痺れて立てなくなったりしてた瀬戸くんが、まさか大学の先生になるなんてねぇ。お釈迦様でも気がつくめぇよ! なぁ、南郷の兄ぃ… …と言うことで、ご挨拶の口上は、これまで、これまで…


©Takahisa Ito
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©Takahisa Ito
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未来へ向かってのご挨拶

皆様、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。愚にも付かない戯れ言にお付き合いいただき、感謝いたします。  
 
思い返しますれば、松陰吉田寅次郎先生が詠んだ「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」の御歌のごとく、前を向いて、ただひたすら前進してきた人生でしたが、その時々に、多くの方々に助けられ、支えられて、今日に至っていることを痛感いたしております。
西洋のアリストテレスという賢人は「人間は社会的動物である。」と言ったそうですが、全くそのとおりですね。 これからは、自分が習得した不動産実務の経験を生かすだけでなく、相続や離婚などの人間関係の機微にかかわる分野にも多少の年の功を発揮して、自らが今まで受けた厚情に報いたいと思います。
フィリップ・マーロウが言い出しっぺで、あこがれの高倉健さんがCMで言っていたかっこいいセリフ「男は強くなければ生きてはいけない。やさしくなければ生きている資格は無い。」という言葉を胸にきざんで精進して参ります。
不束者ではありますが、よろしく御引き回しのほど、隅から隅まで、ずずずぃ〜っと、おん願いあげたてまつりまするぅ〜!


©Takahisa Ito
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